こちらは職人、ただいま交信中!

いきていく物語です。

気が向いたときに、思ってることを書いていきます。
相互に「交信」をする場です。コメントおよびトラックバック歓迎です。
主に鉄道と飛行機を利用する旅人です。
2008年にoneworld Sapphire、2016年にStar Alliance Goldのステイタスを取得。これらを有効に活用した空の旅についても発信していきます。
日本国内の無線従事者資格や、関連資格の多くを取得しており、その受験記も蓄積しています。
内容には誤りがないよう努めますが、誤りがないことの保証はいたしかねます。

メロン記念日 FAN CLUB TOUR in 沖縄(3日目)

さて、想定外のクラブ開店の影響で、せっかく買い込んだ酒が余ってしまったので、オリオンビール500mL缶を引き取り。ビッグホリデー添乗員によれば7時に全部の部屋にモーニングコールをするという話でしたが、その頃には朝食に出てたかもしれません。

昨日と同様のバイキングの朝食後、宿を引き払い、8時20分に集合し出発。今日は「体験イベント」。初日に「旅のしおり」で明かされたその内容は「シーサーへの色塗り体験」でした。会場に向かう車中で、初日の5ショット写真と、昨日の植物園での集合写真が配布されました。昔は5ショット写真はポラロイドでツアー期間中にもらえましたし、集合写真は後日FC会報に同封で送付されたのですが、現在はデジタルプリント技術の進歩(早い話、インクジェットプリンタを持ち込んだんでしょう)により、どちらもツアー期間中にもらうことができるようになったわけです。

会場は、恩納村の隣の読谷村にある「むら咲むら」という体験型観光施設。いかにも団体客用のスペースに入り、1日目のディナーと同じ席番(ただし、テーブルの配置は、不公平が生じないように配慮したつもりらしい)に着席。メロンの4人はステージ上で、参加者と同時に、しっくいで作られた(多分手作り)沖縄の守護神、シーサーに色つけ。最初、1人あたり雄と雌の2体がテーブルに置かれていましたが、各自が任意の1体を選び、もう1体はそのあとスタッフの手により撤収。みんなが思い思いの感性で作業。あまりに熱中してしまうおかげで、メロンの存在を忘れてしまったりしたりなんちゃって。

そのあと、いったんメロンが退席。ここで、参加者の熱い声により、メロンが色つけしたシーサーの撮影許可がおり、急遽撮影会に。ただ、この会場は昼食の準備とのことで、スタッフ的には園内でフリータイムを過ごしてほしく、昼食時にも撮影はできるとのアナウンスでした。何がどうなるかわからないので、早めに撮影を済ませましたけど。自分のシーサーはもちろん持ち帰りとなりますが、置き場をどうするかとか、その置き場の雰囲気の観点で、正直迷いました。でも、自分のシーサーも、4人のシーサーも、これからの互いの守り神であって、大切にしていきたいと思いました。

そしてそのフリータイム、ただの自由時間ではありませんでした。ホールの外でまったりしていたところ、メロン記念日の4人が園内に繰り出していると、調子のいいスタッフさんが参加者に声をかけてました。このスタッフさんは1日目の5ショット撮影のときも、カメラマンでないのに名調子で被写体の表情を引き出す役目をされていて、さすが芸能事務所の人だなと感じました。で、園内では、Hitoが10人程度のツアー参加者とサーターアンダギーを作る「体験」をしたり、ムメが馬に乗って参加者が「大名行列」を楽しむ「体験」をしてそれに土下座する(俺だ)参加者もありーの。最終的にはサーターアンダギーの近辺にみんな合流。まぁしぃはサーターアンダギー試食に合流したり、ムメは参加者を写メったり(俺もしたかった)。まぁしぃは20分くらいかけて、腕につけるアクセサリー(多分「芭蕉紐」)を作っていた模様。施設の出口まで向かうまぁしぃやしばこに群がる参加者。すぐ脇を固めるのは、筆者みたいなイッパソではなく、選ばれしヲタに許される特権です。

さて、バイキング形式というかケータリングでの昼食となり、おかわりを締め切ってからメロン記念日が出てきて、抽選会。メロンは参加者の旅程開始の前日から沖縄入りしてて、美ら海水族館(16時に入ったので割引になったとか)などに行って卒業旅行的なものをいち早く楽しんだ(各イベント会場のロケハンもしたのでしょうけど)そうですが、その日に買ったという国際通りの土産を振る舞い。だがしかし、結局筆者には何も当たらず。昨日の出題ミスを恨むより、自分の運のなさを恨みます。

そして、参加者が想定していたサプライズはここで発動。1日目の車中で回収された、各メンバへのメッセージカードの贈呈式。(このプレゼンターも抽選で決まりましたが、筆者には当たらず)感極まるメロンより閉会の言葉。まぁしぃは、みんなで日本をよくしていきましょうという、摩訶不思議ながらも前向きで威勢がいいコメント。ムメは、涙ながらに声をつまらせ、皆さんがメロン記念日にかわって夢中になれるものを見つけてくださいとのこと。ムメがこんなに泣くなんて思っていませんでした。

握手会では、大きな失敗はしませんでした。プレゼント類をスタッフに託し、柴村大斉の順で10秒ずつ。最初のしばこで前がつまり、微妙に握手が長くなった気がした一方、次のムメでは早めに流された気がします。Hitoは涙ぐんでましたが、気丈な応対でした。ちなみに、2007年の夏ツアーのグッズである、Hitoの黄色い「仲間」Tシャツを仕込みました(Hitoの前に立つまではそれを上着で隠して)。

柴田:

>あなたは強くなった、声が癒されるだけでなくて、強く激しく。

村田:

>ほかに興味があるアイドルがいないわけじゃないけど、あなたを待ってます。
<わかった!

大谷:

>まぁしぃについていく。再びステージに立つ日が来るまでは、最優先で応援する。でも、最終的にはあなた次第。

斉藤:

>(Tシャツを見せて)仲間だ!俺の歴史の一部になってくれてありがとう。会ったら声をかけるかも。
<かけてちょうだい、ありがとう。

Hitoは、涙の線が化粧を浸食してるのがはっきりわかりました。後続のうちの大将のときはムメが泣き出したそうなので、筆者までは我慢してたのか、それとも自分を1推しとしてる人を前に特別に感極まったのか。あっという間でしたが、やり遂げて外に出たらとっても静かで、喪失感というか寂しさを通り越して、メロン記念日が最初から存在しなかったまったく別の世界の住人に切り替わってしまったような気がしました。バスが発車してから、はい撮影録音禁止ですよーという、園児を相手にするかのような調子のビッグホリデー添乗員のアナウンス、車窓にはメロンのお見送り。それからバスが敷地を出て、だんだん、メロン記念日の各メンバに対する思いがじわじわとこみ上げてきていきました。確か沖縄南ICから高速を走り、豊見城市内をちょっと経由し沖縄空港へ。空港到着直前、ビッグホリデー添乗員の呼びかけで、メロン最高万歳三唱。これにて、沖縄での旅程は終了です。シーサーは壊れてはいけないので機内に持ち込むよう注意がありました。

14時35分くらいにバスを降りましたが、出発が遅い名古屋組は、バスに残され、市内のアウトレットモールを連れ回されに。土産を購入し、同部屋の東京組で制限区域に入り、JALカードの割引制度を活用すべく、JAL側のウィングで軽食買い込み。自分らの便は16時50分のNH132便でしたが、往路のフライトが早かった参加者は復路も1時間早いNH130便だったようで、ニギニギとバス出発も早めで、我々の搭乗する35番搭乗口に着いたときには、33番だったか34番からその参加者がぎりぎり乗り込んでるところでした。それにしても、ラウンジに入れない状況での空港での待ち時間は長いですね。

羽田に着いて、解散。優先搭乗した乗客(それなりのステータスのマイレージ会員)が多かった割に、荷物に“DOORSIDE”タグがついてた人がやけに少なく、筆者の荷物がほどなく出てきました。回転台が回り出すまでにはそれなりに時間がありましたけど。そして、帰宅し、旅行終了。

以上、メロン記念日との卒業旅行でした。メロンには言いたいことがほぼ言えました。というか、何か書いてる時間が結構あった気がします。そして、ヲタもだちとの卒業旅行でもあったと思います。会う機会の減るであろう人もいますけど、また一緒に何かやりたいなと思いました。