こちらは職人、ただいま交信中!

いきていく物語です。

気が向いたときに、思ってることを書いていきます。
相互に「交信」をする場です。コメントおよびトラックバック歓迎です。
主に鉄道と飛行機を利用する旅人です。
2008年にoneworld Sapphire、2016年にStar Alliance Goldのステイタスを取得。これらを有効に活用した空の旅についても発信していきます。
日本国内の無線従事者資格や、関連資格の多くを取得しており、その受験記も蓄積しています。
内容には誤りがないよう努めますが、誤りがないことの保証はいたしかねます。

日記

さて、「サンライズ出雲」でもなく新幹線でもなく、わざわざ「出雲」を選んだわけを、ここで書かねばならない。列車の廃止が迫っているからというよりは、兵庫県美方郡香美町香住区に存在する、日本有数の鉄道名所、「餘部橋梁」からの景色を見たいからである。香住駅が7時ちょうど、浜坂駅が7時21分、この間に通過するので、6時40分ごろに5号車の食堂車に。が、ベストな席は、テーブルの上が宴会のあとのがらくただらけで、座れず。いや、ここの主だった輩らに遠慮する意味でなく、ここを占領してると思われなくないからである。車掌さんも、やばい忘れものがないかどうか、心配していた。で、やむなく、その隣のテーブルの前に座るのであるが、なんとあいにく窓の下3分の2くらいが曇っているのだ。というか、この車両の窓、1つおきにそんな感じだ。ヒーターの有無なんだろうか。いい景色が拝めるかどうか、悶々としながら時間は過ぎる。

で、ここで、がらくたの主らが現る。がらくたのテーブルの前に座る。5時までここで飲んでたと言っている。向かい側の人から、車掌さんが心配してたと伝えられるが、申し訳なさそうなそぶりは一切なし。車掌の放送にて、まもなく餘部鉄橋を通過する旨が告げられる。7時10分前後だっただろうか。トンネルを出ると、下界に家並み。なかなか、写真としては難しい。1枚、曇りにフォーカスが合ってしまったものも。欲張りすぎたな。その一方、後ろのがらくた連中、いい写真が撮れたとかなんとか、厚顔無恥の満足ぶり。まるで教科書のような典型的な卑怯な悪徳ヲタだ。口には出さなくても、大ひんしゅくを買っていただろう。で、7時21分、浜坂駅を出て少したっただろうか。段ボール箱を持った2人ほどの人。テーブルをどこか1つあけてくださいとのこと。時刻表に書いてあった通り、ここから鳥取まで車内販売だ。4年前と同じく、鳥取市の業者のカニの弁当だ。で、がらくた連中が席を空けるようなことは当然なく、逆に小生と同じテーブルの方々が律儀に立つので、自ずとここが販売所となってしまう。おかげで、早いうちに買えたのはよかったけどね。かにめし、かに寿司、幕の内の3種類があったが、4年前に食したのはかにめしかと思ってかに寿司を買う。販売所の向かいの席にて、弁当を開けると、4年前と同じものが。しまった!かにめしを買うべきだった。でも、このかに寿司、日常生活では味わえないほどのカニだ。自然への感謝をせずにはいられないというのが、正直な感想だ。最後に売り切れたのは、幕の内だった。あとは、鳥取駅での停車中に、ホームで買ってくださいとのこと。鳥取駅では、売り場にすごい人。おかげで、出発がいくらか遅れたようだ。

で、食べ終わり、自分の席へ戻る。おっちゃん夫婦(奥様は向かい側下段)が、かに寿司を無事確保していた。気づかんかった。ここからは、本当は、大山を拝むべきなのであるが、2度寝してしまう。起きたら米子だ。ここでは前方で機関車の撮影はするなとのアナウンスがしつこい。後ろ3両切り離しを見学しようとしたが、目を放した隙に切り離されてしまった。おっちゃんいわく、駅の時刻表を撮影する人がいるとのことなので、小生も撮影しておく。そういえば、香住とか餘部あたりはうっすら雪が積もっていてビックリしたが、ここまで来るとほとんど雪が見られない。気候の違いなのだろうか。出雲市駅では、お互い、お気をつけてと言って別れる。で、ここでは特段撮禁になっていないので、機関車を撮っておく。すごい人だ。下り方向に回送されていくのを、携帯で動画撮影しながら見送る。さて、次の列車、スーパーおき3号まで時間があるので、弁当確保をしようと1階に降りるのだが、わざわざ改札を出る人が、思いのほか多い。皆、きっぷに「乗車記念/使用済」(/は改行)のはんこを押されている。なるほど、このはんこを押してもらうために、わざわざ出場するのか。小生も乗車券と特急券を差し出すが、乗車券は益田までのゆき券なので押されるわけなく(途中下車印も押されず)、特急券・寝台券のみに記念の押印がされる。で、昼食は迷った挙げ句、出雲名物だという手打そば弁当。

スーパーおき3号乗車後、弁当を開ける。やや手間がかかるが、なかなかおもろい。187系気動車に乗ること自体初めてなのだが、エンジン音は噂ほどは気にならない。通路側の席で、隣の窓側の席の客は新山口まで乗車するようだったが、斜め後ろが空席だ。いったい、どういうルールで発券されるのだか。そちらのほうが海側で景色がいいので、益田に着くまでの最後3分の1くらいはそっちに移動して写真を撮ったりした。

さて、益田では跨線橋を渡る乗り換えだ。時間はわずか3分。浜田鉄道部の運転士の乗務によるキハ120形気動車だ。たった1両、けっこうな人が乗っている。トイレは、ついている。キハ120系は確か、もともとトイレはなくて、あったとしても乗客の苦情で渋々と増設されたものだと認識していたが、けっこうきれいだ。入ってみて、水を流してクリビツ。なんと、泡が洗浄をするのだ。この方が経済的なのだろうか、それとも鉄道車両特有の事情があるのか、非常に興味深い。トイレがよく話題にのぼる某局の某朝の帯番に投稿でもしようか。セーガクは、基本的に県境をまたがないので、そこを計算すればいいとこに座れたな。基本的に、海を見たいのでなければ、海側に座るべきだ。でないと、かなり暑い。

で、東萩駅に到着。乗り継ぐバスの時刻は14時25分、時刻表上のこの列車の発時刻は14時24分、わずか1分乗り換えのように見えるが、実際は14時23分30秒くらいに着いた。もっと、時刻表をよく見れば、着時刻が多少早いことは想像がつくが。東萩駅自体もそんなに大きい駅でないし、改札までも近かったので、早足であればバスへの乗り継ぎは問題ない。ただ、この駅に来たことがない人で、なおかつ人生の大先輩だと、厳しいかもしれない。

さて、乗り換えた先のバスは、萩循環まぁーるバスの東回り(松陰先生)だ。座って車内をよく見ると、路線図がある。停車中に取りにいったが、運転手に注意されてしまう。乗車時に取れということだ。まともな路線図だ。Webのように停留所名をはしょるような手抜きは見られない。で、その吉田松陰先生にちなみ、松陰誕生地停留所で下車。料金箱に、4年前に訪れた際に買って余らせてしまったバスカードを挿入。無事使えた。この時点で600円残っている。消化しきるにはもう1回来ないといかんな。でも、極力消化したい。で、ここは実際は、生誕地というよりは墓地だ。高杉晋作をはじめとする、松陰先生の弟子もここに眠っている。で、生誕地はどこなのか、よぉわからんかったが、大きな松陰先生の像が隣の敷地にあるので、ここだと勝手に解釈して満足しておく。う〜ん、歳が若かった人が多い。昔の人は、なんて、野心があったのだろうか。2006年のこの世も、激しい闇だ。明治維新ほどでないが、自分も何か維新をしなければいけないのだろうかとふと思う。

あとは、伊藤博文の旧宅や別邸を見学。別邸のほうは東京の大井町から移築したものだそうで、特に天井の板がすごいという。かなり太い木から作ったのだそうで、移動の際にけっこうな保険をかけたのだそうだ。松陰神社は軽く散策。資料館?は時間の都合もあるし入場料もかかるので、スルー。「松陰先生」に再び乗車し、萩市役所で西回りの「晋作くん」に乗り換える。「萩城城下町」で下車したが、それまで車内で、どうすれば多い回数乗車できるか、計算しまくっていた。バスカードを全部消化するのはやっぱしあきらめ、これを含めた2回の下車で計1時間をつぶすことに決める。(バスは30分おきなので。)で、ここでは、おみやげ物屋で夏みかんのソフトクリームを。市内各所で260円くらいで食べられるが、時間がここでできたので。なかなか、あっさりしている。一方、土産は、なるべくあとで買いたいので、ここではスルー。公園内の某協会のラジオ放送所を周りから観察したりして、「北の総門入口」から「萩城跡・指月公園入口」へ。ここでみやげを確保。萩はけっこう夜が早い町のようで、このみやげもの屋も17時を過ぎると閉店準備だ。次のバスで、玉江駅へ。バスカードは結局200円分が余った。次回はいつになるかわからぬが、萩焼を買いにでも行くとするか。玉江駅は一応無人駅のようだが、キヨスクがあって、近距離のきっぷが買えるようだ。列車は1日に数本しかないというのに、このキヨスクには地元の人とおぼしき人が遊びに来ていて、店員のおばちゃんと談笑してた感じで、温かみが感じられた。地元にとっては、なくてはならない駅に見える。列車が来る。2両か3両かは気にしなかったが、キハ47形気動車のワンマン仕様だ。これだけおっきいと、前で乗るとか後ろで乗るとか、そのへんを意識するだけで大変だ。いちばん前のドアの周辺、料金箱がど真ん中に鎮座しており、周りに何もない様子がユニークだ。運転士の所属は長門鉄道部だ。日本海沿いを走る間に、暗くなっていく。乗客もあまり増えず、4人分のボックスシートを占有しながら、益田駅へ再び。

で、ゆうべ予約したばかりの駅前のホテルにチェックイン。そのあと食事ができる場所を探すが、線路の南側と北側を行き来するための自由通路が見つからない。多少東側に離れた場所にある立体交差をくぐろうと、空き地らしいところを横切るが、かなり暗い。注意して歩いてたからよかったが、多少でも気を抜いていたら川に落ちていたであろうほどの、怖い場所だった。結局、ホテルと同じく線路の南側で食事することに。焼き肉屋とか中華料理店とか、いくらかお店はある。地元の方にはやや失礼かもしれぬが、思ったより便利な町でよかった。初めての土地というのは、不安なもので。小生は寿司屋と食堂がひとつになった店で、鍋焼きうどんを。ビールも頼む。けっこう、温まる。テレビには、WBC。あと、芸能人のサインが結構あったが、だれのサインかはよくわからず。

で、部屋に入って、いろいろ充電を始め、それからテレビのチェック。山陰の民放は3局だが、距離的には山口の局も受信できてよさそうな気がする。で、リモコンのボタンをトライすると、けっこう民放が受信できるように見えた。1から12のすべてのボタンになにかしらプリセットがされている。しかし、CMまで見比べてみると、結局民放は3局に縮退し、山陰波しか受信できないこと判明。具体的には、3と8と11はNKT、4と9と12はTSK、5と10はBSSというように、重複してプリセットされている。あとNHK教育は1、総合は2と7だ。6は教育かな?BSアナログの再送信くらいしてほしいものだが、4900円のテルホにそこまで求めてはいけない。一方、携帯電話でFMの受信をしてみる。結局、NHK FMV-airの浜田局のみ受信でき、携帯ラジオの音としてはまずまずの受信状態。SINPOは55454かな。FMYNHK FMの萩局はかすりもしない。こういう受信環境だけで言いきってはいけないかもしれないが、ここは基本的に、浜田波のエリアだな。テレビもそうだとすると*1BSSの実チャンネルは浜田が5、松江が10なので、そこはプリセット通りで納得だが、あとは基本的にいいかげんな設定だ。NHK総合は2は浜田だが、松江は6だし、NHK教育は浜田は9、松江は12だからまったくいいかげんだ。まぁ、どのボタンがどの局か判明したからいいか。本日のWBCの中継は日テレ系だ。3のNKTで見る。で、風呂に入って、あすの予定を練り直したりメールを打ったりして、寝る。毛布はテレビの下にしまわれているが、めんどくさいので敷かずに寝た。違和感があったが、いいや。

*1:テレビに関しては益田に中継局があるので、この仮定は誤り。